仕事部屋で長く座っていられない理由について考えてみた

 唐揚げ屋の2階で仕事をしていると、長く座っていられない。これが近所のカフェに行くと、できる。この違いはなんなのか。沈思黙考していると、なにやらノイズが気になってくる。

 机の上の蛍光灯、頭からの距離は10センチ、からかすかに鳴るジーという音がずっと気になる。「え、何も聞こえないけど?」というくらいにかすかなのだが、脳の一部がそれを気にすることに割り当てられているようだ。仕事に対する集中度がかぎりなく100%に近いのだけれども、100%ではない自分に気が付き、なぜだろう、と際悩まされるわけである。
 消してみる。部屋は静寂に近づき、すぐさま安心感が湧いてくる。あーこれだ、これが原因だ。

 すると、近くのノートパソコンのファンのブーンという音が際立ってくる。これも絶対値としてはかなり小さな音だ。このパソコンは常時オンにしておかないといけないのだが、閉じてみる。ファンが止まり、海溝の静けさを想像してしまう。

 すると、天井の蛍光灯からのジー音がマスキングを解かれ、存在をアピールしてくる。それも消す。ああ、深宇宙とはこのことか。闇の部屋で、気分は映画『ゼロ グラビティ』となる。

 外を走る車の音が響くようになる。これは気にならない。
 どうやら、自分がいる仕切られた空間さえ無音になってくれれば、私は満足するようだ。その空間の外から来訪する人間活動の音は、「この世界でおまえは一人じゃないんだぞ。」と神が鳴らしてくれているみたいで、一人仕事をする孤独さを適度に紛らわしてくれる。
 カフェでも同じことが言えるのだろう、と合点した。

 ところで、耳栓・ノイズキャンセリングのヘッドホンをすればいいのでは?という助言に対しては、「なんで、被害者側が努力しないといけないのか?加害者側こそ殲滅すべき。」という論理が働いて、それはしない私である。
 それに、今度は耳に何かが触れているのが気になって仕方がないことも理由である。

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